カテゴリー「道東の歴史」の記事

2018年3月15日 (木)

昔、“根室県”というのがあった?・・

このところ花咲線の存続問題を新聞の記事などで・・

見ることが多いように思いますが、その花咲線といえば・・

やはり、根室が思い浮かびます。

根室といえば、かつて“根室県”というのがあったのを・・

御存じでしょうか?

明治15年(1882)から明治18年(1885)の間、北海道は・・

函館県、札幌県、根室県の3つに分かれていた時代が・・・

あったそうです。(“三県一局”というそうです)

函館県は、渡島半島の辺りで根室県は、十勝地方を抜いた・・

現在の道東地方辺り(足寄は含まれる)その間が・・・

札幌県だったようです。

何故?根室に県庁があったかといいますと・・

明治8年(1875)にロシアとの間で国境を制定するために・・・

調印された“樺太・千島交換条約”によって樺太が・・・・

ロシア領になる代わりに千島列島全島が日本領に・・・・・・

なったため防衛や産業、船の交通の便などを・・・・・・・

考えると中間になる根室が良かったからとのことです。

しかし、3県になった当時の北海道の人口は、全体で・・

21万6千人ほどでしたが根室県は、1万4千人くらいと・・・

全体の6.7%だったそうです。

札幌県が28.3%で、65%は函館県に住んでいたようです。

やはり格差があり過ぎるので開拓の面などでも問題が・・・

あったようで僅か3年間で再び北海道ということで・・・

一つの行政になったようです。

その、かつての県庁所在地で道東発展の歴史を作ってきた・・

根室や江戸時代に東蝦夷地の中心地だった厚岸を繋ぐ・・

鉄路がなくなるのは歴史的にも寂しいような気がします。

何とか存続してほしいものですね。

今回は、東釧路付近を走るその花咲線の気動車を・・

流し撮りで撮影した写真からでございます。

先月の11日です。
流し撮りなので分かりにくいですが後ろに見える線路が・・
同じく存続問題の対象になっている釧網線です。
釧網線の走る釧路や網走地方も根室県に入っていました。

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2017年7月19日 (水)

釧路西国三十三ヵ所霊場の第7番石仏・・

春採湖畔を散策すると遊歩道の所々で石仏を見かけますが・・

釧路西国三十三ヵ所霊場の札所に相当する・・・

観音石仏であることをご存じでしょうか?

春採湖は、犠牲者が多かったためにそれを供養するため・・

有名な近畿・東海地方を巡る西国三十三ヵ所霊場を模して・・・

大正13年(1924年)に米町の西端寺さんのご住職が・・・・

発願して中心となり西国各霊場のお砂を基礎に敷いて・・・・・

設置されたのだそうです。

春採湖を琵琶湖に例えて米町の西端寺から始まり・・・

米町の各寺を巡り、竹老園、春採湖畔、チャランケチャシ・・・・

春採5丁目の佛心寺、そこから坂を上って春採2丁目の・・・・・

馬頭観音堂、紫雲台と回り、再び西端寺に戻るという・・・・・・

約10Kmのコースだといわれています。

ただ、現在は、元々あった場所から移動している石仏や・・

作りかえられた石仏もあるようですので当時のコースとは・・・

少々ですが違うと思われます。

現在でも霊場を一周して巡り供養する「山かけ」の行事が・・

5月と10月に行われているようです。

自分も2度ほどですが一人で回ったことがあります。

ゆっくり巡っても3時間位のコースだと思いますので・・

釧路の歴史を感じるコースとして復活してほしいと・・・

思ったりもするのでありました。

米町の大成寺さん境内にある第7番観音石仏です。
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第7番は、奈良県明日香村にある龍蓋寺に相当するようです。
この石仏は、
如意輪観音になります。
春採湖畔にある石仏を全てお地蔵さまだと思っている方も・・
少なくないと思いますが霊場の石仏は、札所に相当する・・・
観音石仏
(観音さま)になります。
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2017年3月 2日 (木)

東釧路駅のミニ雑学・・

このところ、鉄道路線の存続問題が新聞やニュースなどで・・

取り上げられていますが釧網線や花咲線も候補なのですね。

自分は、その釧網線が、釧路~網走間ではなく・・

東釧路~網走間(166.2Km)だということを・・・

SL冬の湿原号を撮りに行くようになってから知りました。

東釧路駅は、大正14年3月16日に「別保」信号所として・・

開設されて昭和3年11月11日から釧路の東にあるので・・・

「東釧路」と称して一般駅になったそうです。

以前は、国鉄だけではなく昭和4年12月28日には・・

春採駅から東釧路駅まで臨港鉄道が延長して開通したそうで・・・

その後、昭和12年1月10日からは、東釧路~城山間も・・・・

開通して貨物だけではなく市民の足としても・・・・・

営業されていた時期もあったそうです。

しかし、昭和60年6月1日には、城山~東釧路間、・・

昭和61年11月1日には、東釧路~春採間が・・・

廃止されたようです。

釧網線は、過酷な土地と気象条件のもと強制労働などの・・

過酷過ぎる労働条件で働かされた人たちの数多くの・・・

犠牲の上で開通された重い歴史もあるようです。

これからも長く長く営業を続けてほしいものですね。

2月25日、ホーム側からの東釧路駅です。
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2016年9月13日 (火)

仏舎利塔の四面のレリーフ・・

前回は、一昨日に行った仏舎利塔の写真をアップしました。

今回は、その続きでございます。

仏舎利塔の設計は、浅草寺や川崎大師、増上寺、・・

法隆寺などの修復も担った日本の古建築界では・・・

有名な権威のある方だそうです。

そして、仏舎利塔には、東西南北の四面にそれぞれ・・

高さ4mを越える青銅のレリーフが埋め込まれていますが・・・

このレリーフを彫った方や鋳造された方もその世界では・・・・

かなり有名な方々のようです。

今回は、その四面のレリーフの写真にしてみました。

ただ、光線状態により色や陰影に違いがあるのは・・

ご了承くださいませませ。

このレリーフもかなり損傷が目立っていたのを・・

ボランティアの方たちが修復作業を続けているので・・・

元の美しい姿に戻りつつあるようです。

東面の誕生仏
右手で天を指し左手で地を指している「天上天下唯我独尊」・・
の有名なお姿ですね。
お釈迦さまは、紀元前560年ごろの4月8日にシャカ族の・・
王子として生をうけたそうです。

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西面の成道仏
仏舎利塔の入り口から正面に見えるレリーフです。
お釈迦さまが瞑想に入り悟りを開いたのは、35歳の時で・・
12月8日だと云われています。

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南面の初転法輪仏
初転法輪とは、悟りを開いてから初めての説法のことです。
これ以来、自分が得た真理を人々に伝えるための・・
伝道の旅が始まったようです。

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北面の涅槃仏
お弟子さんに見守られながら入滅したお姿ですね。
伝道の途中に体調を崩して紀元前480年ごろの・・
2月15日にクシナガラという地の沙羅双樹の下で・・・
80歳で入滅されたそうです。

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2016年9月12日 (月)

初秋の仏舎利塔にて・・

今月の3日、どんぱく花火を見に行く途中、城山の通りを・・

歩いていた時に仏舎利塔の姿に目が引かれました。

そこで、昨日、仏舎利塔に行ってみることにしました。

天気のいい日に行くとこの場所は風が爽やかで・・

景色も開けているので居心地の良さも感じます。

仏舎利塔は、昭和27年(1952年)に起工式が行われ・・

昭和34年(1959年)の完成ですが、人件費はボランティアで・・・

当時約3千万円の建設費は、志でまかなわれたようです。

塔の内部には、インドやスリランカ、ミャンマーから・・

贈られたという6粒の仏舎利(ブッダの遺骨)が・・・

納められているそうです。

しかし、近年では、老朽化が進み崩れかけているところも・・

かなり目立ってきていたようです。

ただ、檀家さんがないことから補修が厳しくなっていましたが・・

有志の方が資金不足ということもあり10年の歳月を・・・

費やしての補修の計画を立ててボランティアでの・・・・

補修を続けているそうです。

昨日の9月11日です。
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以前、仏舎利塔まつりの時にいただいた資料によりますと・・
高さは、33mで法隆寺の5重の塔とほぼ同じ高さで・・・
全国に百数十ヵ所ある仏舎利塔の中でもトップクラスの・・・・
大きさだそうです。
(最大直径は40m)
一番、大きな仏舎利塔で38m、多くは10m未満とのことです。
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小高い丘の上に立つ仏舎利塔は、海上からも見えて・・
漁師さんたちの目標にもなり、海から見える姿がとても・・・
ありがたく豊漁や航海安全の願いに来ることもあるそうです。

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2015年12月15日 (火)

釧路の学校の最初の修学旅行の行先は?・・

最近の修学旅行といえば、高校なら飛行機を使ったり・・

海外に行ったりすることも珍しくないですよね。

では、釧路の学校での初の修学旅行は、どこの学校が・・

いつ頃、どこに、どうやって、どのくらいの日程で・・・

実施されたのでしょうか?

明治30年7月22日に日進小学校の高等科の48名の生徒と・・

引率の先生で実施されたとの記録があるようです。

その当時の教育制度は、いろいろと変わったりして・・

よく分からないのですが、小学校は、尋常科の上に・・・

高等科というのがあったらしいです。

さて、行き先と日程ですが、5泊6日で厚岸だったそうです。

現在なら車で1時間位で行ってしまいますが・・

バスや列車もない時代、道も現在のように・・・

整備されていたわけではないので熊などの獣が・・・・

出没するような険しい山道を長い時間歩いたりして・・・・・

子供たちには厳しい道のりだったと思われます。

そして、普段は気軽に行けない行程なので、学習をかねて・・

ジックリと行く先々を見学しながらの旅路だとも思われます。

さてさて、5泊もどこに泊まったの?と思いませんでしょうか。

1日目は、遠矢と阿歴内に分宿し、第2夜は太田村・・

3日目に厚岸に入り厚岸小学校に泊まったそうです。

そして、翌日に厚岸の港や国泰寺を見学して・・

そのまま国泰寺に泊まり、帰りは、跡永賀に一泊して・・・

帰ったそうです。

この行程からすると行きは内陸側を歩いて行き・・

帰りは海岸線のコースを通ったことが分かります。

明治維新前から東蝦夷地の中心地だった厚岸の港は・・

当時の釧路の港よりも発展していたと思われますし・・・

歴史のある国泰寺や屯田兵が入植して出きた太田村に・・・・

行ったことなどを考えますと修学旅行のコースとしては・・・・・

当時の最適な行程だったのでしょうね。

それにしても昔の修学旅行って体力的にも大変そうですね。

その後、詳しい日程は、分かりませんが・・

明治32年に高等科の生徒29名が9日間の日程で・・

根室まで定期回航汽船で行ったいう記録もあるようです。

どのような行程だったのか?今では凄く興味深いですね。

12月12日です。
桂恋から見た厚岸方面の太平洋です。

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同じく12月12日、日没後の桂恋漁港にて。
明治30年といいますと1897年になりますから今から・・
120年近く前になるようですね。
一行は、帰り路にこの桂恋も通ったのでしょうかね~?
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2015年12月10日 (木)

釧路で最初の学校は桂恋にあった?・・

釧路の学校の始まりは明治12年に開校した・・

日進学校(日進小学校)で、その前身は、明治8年に・・・

聞名寺で開かれた寺子屋だと云われています。

しかし、釧路で最初に学校らしきものが開かれたのは・・

明治5年に桂恋の稲荷神社にあった観音堂で・・

岡田善道という人が5~6人の子供を集めて・・・

教鞭をとったのが始まりだとも云われているようです。

日進学校は後に昆布森に分校が出来たそうですが・・

何故、桂恋や昆布森に早くから学校が出来たのでしょうか?

釧路は、いろいろな産業が入って移住者が増えるまでは・・

海岸線の昆布の漁村に過ぎなかったので・・・

その集落のあった漁場から始まったらしいのです。

実際に明治の前は、道東(東蝦夷地)の中心は・・

厚岸でしたし、明治になってからは根室が中心地でした。

更に釧路よりも、現在の刑務所に当たる集治監や・・

硫黄山事業の精錬所のあった標茶の方が栄えていて・・・

釧路が標茶の人口を抜かしたのは明治24年に・・・・

なってからだそうです。

それを思うと、その後の釧路の急速な発展ぶりは・・

凄かったようですね。

などと、今回、桂恋の夕景の写真をアップしたいがために・・

中途半端な雑学を長々と書いてしまったのでございます。

12月7日、桂恋漁港からです。
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間もなく日没です。
この日もいい夕日でした。

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日没後です。
この日は、穏やかな夕暮れ時でした。
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2015年12月 4日 (金)

桂恋の地名の由来は?・・

先日、桂恋に行った時に思ったのですが・・

“桂恋”って演歌の曲名にでもなりそうな・・・

素敵な地名ですよね。

そこで釧路の地名の由来が付録として書かれている・・

「釧路新書11 釧路歴史散歩(下)」にて調べてみました。

そこに、昭和7年の「字地番改正」事業の時に地名の命名の・・

記録も行われたようでその時の文章が載っていました。

<前略>カツラコイとは夷語にて水鳥の浪の集まるという・・

義にして頗(すこぶ)る詩的情緒味のある字義に因(よ)り、・・・

原名を重んじ桂恋と称す。”とありました。

う~ん、頭の回転の鈍い自分には・・

分かったような分からないような解説ですが・・・

ロマンチック路線で付けられた地名ではあるようですね。

ということで今回は、そのロマンチックということから・・

桂恋の浜辺で撮った黄金の夕色に輝く水面の・・・

写真でございます。

11月29日です。
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夕日を受けて黄金に輝く水面です。
この日は光の強い夕日で海面の反射もかなり輝いていました。
もう少し工夫して切り撮らないと訳の分からない写真に・・
なっちゃいましたね。

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日没後です。
漁港の先にある砂浜です。
このほんの少し夕色に染まる砂浜の風景も、先の地名の・・
解説ではないですが、詩的情緒を感じるように思います。
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2015年11月26日 (木)

幣舞中学校は東中の前は南中だった?・・

春採公園の近くに幣舞中学校の校舎があります。

弥生中学校と統合されるまでは、東中学校だったことを・・

知っている方は多いと思いますが、その前は・・・

南中学校という名の校舎だったことをご存じでしょうか?

敷地内に石碑があるので昭和11年に男子高等小学校として・・

開校したという事の方が知られているのかも知れません。

自分も詳しいことは分かりませんが、戦前の教育制度の・・

小学校は尋常科6年の後に高等科2年?があったそうです。

その男子高等科としてここに建てられたようです。

それでは、女子高等科は?というと現在の教育大学の所に・・

あったらしいのです。

戦後、新制度の教育制度に変わった時に中学校の校舎を・・

どうするか?となりました。

その時に男子高等科の建物を南中学校とし女子高等科を・・

東中学校として使うことになったそうです。

しかし、その後、釧路にも学芸大学(教育大学)を・・

造ってもらうために東中学校になっていた現在の場所が・・・

候補に上がりました。

それを受けて東中学校は、昭和25年に南中学校の校舎の・・

一部を借りる形で移転してきました。

更にその後、昭和28年に今度は、南中学校が新築された・・

学校へと移転して行き弥生中学校と名称を変更したので・・・

南中学校の建物は、東中学校となったそうです。

でも、現在は、平成16年に東中学校と弥生中学校が・・

統合されて現在の場所にある建物を使っているので・・・

再び元に戻ったことになるようですね。

11月1日、日没後の幣舞中学校のシルエットです。
毛綱毅曠先生が設計された建物だそうで上部の大きな・・
このアーチが特徴のようですね。

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11月3日です。
実は、自分も東中学校の卒業生だったりします。
ただ、現在の校舎の前のボロ、いや、趣のある?校舎でした。
この校舎の中を見たことがないので一度、見てみたいです。

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2015年11月25日 (水)

春採湖上の竜神雲・・

春採湖の東岸というか、湖を挟んで旧科学館の対岸の丘に・・

竜神祠があるのをご存じでしょうか?

“竜神の住む釧路の春採湖がひどく荒れているので・・ 

守り清めるように”とのお告げを昭和9年に聞いた・・・

秋田の女性行者さんが直ぐに来釧して毎日のように・・・・

水行とお祈りをして翌10年に建立されたのが・・・・・

はじまりだと云われているそうです。

大正から昭和初期にかけて湖の面積が半分近くになるような・・

大々的な埋め立て工事が行われたのでその影響を・・・

受けたのかも知れません。

その後も長い間、汚染が続いたりしていたので・・

竜神さまがまだいらっしゃるのかどうかは分かりませんが・・・

春採湖の上空に時々、竜の形をした雲が出没します。

以前、元学校の校長先生だった方から、竜が春採湖から・・

出て来るのを見た人がいるという話を聞いたことがあります。

真実かどうか?は、正直、どちらでもいいと思います。

ただ、春採湖に竜神さまがいて下さると思った方が・・

春採公園に行くのが楽しみになりますし・・・

大事な湖に見えてくるような気がします。

写真の上方、少し左側に竜神祠と鳥居が見えます。
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夕日を受けている竜神祠です。
昭和32年に3代目の祠が建てられたそうですが、この祠が・・
その時のものなのかどうかまでは分かりませんです。

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この写真は、9月21日の撮影です。
雲が竜のように見えないでしょうか??
自分には、竜たちが空を駆けて行くように見えました。

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少し形が崩れて来た頃の春採湖上の雲です。
以前、もっと完全に近い竜の形の雲を撮りました。
ファンタジーな世界の話ですが、でも、いつまでも竜神さんが・・
住みやすいような湖であってほしいものですね。
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