カテゴリー「道東の歴史」の記事

2009年11月12日 (木)

炭鉱(ヤマ)の見学会・・

8日の日曜日に釧路市立博物館主催の・・

バス見学会「炭鉱(ヤマ)のくらしをたずねて」・・・

というのに参加しました。bus

定員40人のところに70人ほどの応募があったらしく・・sign04

自分は当初、落選して補欠でしたが・・・despair

前日にキャンセルがあったようで参加することができました。wink

さすが、釧路は炭鉱関連の講座は人気があるようですな~!confident

コースは、太平洋炭鉱(春採炭田)の発祥の地からはじまり・・

太平洋炭鉱関連由来の地、更に釧路町の旧深山炭鉱を巡り・・・

最後は同じく釧路町の別保坑を探索するものでした。dash

春採炭田発祥の地などは・・

普段、よく通るところの直ぐ近くで驚きました。catface

そして釧路近郊にもたくさんの坑道があり・・

いろいろなところで採掘されていたことにも更に驚きました。shine

今回、講師をされていたのは太平洋炭鉱のOBの方々でした。gawk

釧路地方の炭鉱の跡が段々と分からなくなっていくこともあり・・

歴史の証人、財産として・・・

これからも探索を続けて記録に残していきたいのだそうです。flair

皆さん、ご高齢?なのにそのエネルギッシュな姿と情熱には・・

頭がさがり感動させていただき有意義な一日になりました。coldsweats01

旧太平洋炭鉱(現 釧路コールマイン)にて・・
ここから海底の採炭場に行くそうです。

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別保坑の選炭工場跡らしいです。
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この小川の先に坑道入口があるそうです。
小川は、ちょっと癖のある?臭いがしていました。

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熱心な参加者の皆さん。
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2008年10月 6日 (月)

幣舞2遺跡・・

昨日、博物館主催の「歴史探訪会 まちなみ散歩」に参加
しました。

観光交流センターから釧路駅までを昭和7年の地図と対比
しながら2時間で歩くコースでした。

このコースの道のりを約一年ぶり位に歩いたのですが・・
空地が、あまりにも多くなったのには・・驚きました。wobbly

う~ん、釧路の中心地も寂しくなりましたな~・・・weep

散歩中に午後から現在、釧路税務署跡で発掘調査の行われ
ている“幣舞2遺跡”の見学会があるという情報をいただきました。

ちょうど車を見学地の隣にある駐車場に止めていたことと
時間的にちょうど良かったので見学することにしました。delicious

うっひょー!参加者の多さに現地に行って驚きました。sad

興味のある人というよりも、隣のNHKさんでイベントが開催されて
いたので小さい子供さんを連れた親子連れが、ついで?に寄った
という感じでした。
(もちろん、興味のある参加者が多かったと思います・・)

いや~、期待しないで寄ったのですが、期待以上に勉強になり
面白かったです。smile

この地では・・
縄文早期前半(約8000年前)と擦文時代後期(11~12世紀頃)
の集落跡が発見されたそうです。

隣の生涯学習センターの辺りでは、8000年前から擦文時代
までの集落が断続的に発見されているそうですが、この地では、
時代が飛んでいるのだそうです。

地層の写真です。分かり易いように線が引いてありました。
半分から上が税務署を作る時に入れた土砂だそうです。

駒ヶ岳や樽前山の火山灰の堆積があり、そこから時代が特定
できるのだそうです。
(凄いですね~・・)
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地層をアップで・・
真ん中付近の色の濃い部分が擦文時代で下から3番目くらい?
が、ここに集落のあった縄文期の地層だそうです。

(覚え違いだったらスイマセ~ン・・)
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縄文時代の竪穴住居跡です。
この時代は、円形や楕円形が多いそうです。
大きな穴は、柱の跡だそうです。
真ん中に見える土が黒い所は、焚き火の跡らしいです。

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擦文時代の竪穴住居跡です。
形が四角くなるそうです。
親子連れが多く、子供がなかなか出てくれなかったものですから、
顔が写らないように撮らせてもらいました。coldsweats01

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上の写真の住居の“カマド”の跡です。
まわりの土が焦げているのが分かります。

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小さな白い粒は、サケ類などの 焼けた骨だそうです。
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ここの遺跡から竪穴住居など42か所の遺構と約3000点
の土器・石器・金属製品などの遺物が発見されたそうです。

ここで発見された土器の一部です。
釧路・根室地方は、サハリンから入ってきたオホーツク文化と本州
からの影響を受けている擦文文化の合流地点で土器もどちらの
特徴も持つ
“トビニタイ土器”という羅臼にある遺跡の地の名前が
ついた土器なのだそうです。

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2008年9月 1日 (月)

まちなみ散歩

「温故知新」という言葉があります。

(ふる)きを温(たず)ね、新しきを知ること・・

歴史は繰り返します。
簡単にいうと、過去の歴史に学び今の時代に生かすことを学ぶ
ということでしょうか・・・?!think

昨日、「歴史探訪会 まちなみ散歩」というのに参加しました。

昨日のコースは、米町公園から幣舞橋までを歩いて、今は廃止
された臨港鉄道の線路の跡をたどるのが主な目的でした。

現在、石炭列車は、春採駅から知人貯炭場までの間しか線路は、
ありませんが、昭和41年までは、その先に・・
真砂町~臨港~入舟町と駅があったそうです。

ちょうど入舟町の駅があったところが現在の港町ビールの建物の
辺りだそうです。

参加者は、やはり60歳以上の人が多いようで、温故知新という
よりも懐かしさを求めてという人が多いのかも?しれません。

私も、もちろん温故知新などという高尚な理由ではないのですが、
何故、参加しているのか?・・
自分でも理由が見つからないのでありんす。sad
(ただ、新しいことについていけないだろ~が!・・天の声)pout

な~んて、ただ、四文字熟語を使ってみたかっただけかも・・coldsweats01

釧路川河口付近に漁船が、たくさん入っていました。
何の籠でしょうか?
(聞けばよかった~)

写真に詳しい知り合いの参加者の人と・・
“いや~、青空なら最高の被写体なのにな~”happy02
と2人で苦笑しながら撮りました。

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こういう綺麗な籠を撮影できるのは珍しいそうです。
う~ん、やはり青空なら赤と青のコントラストが表現できるのに・・weep

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会が終わった後に顔見知りの50代と70代の参加者の人と
3人で延長戦で米町近辺の歴史探訪をしました。happy01

今春から統合されたために学校としては現在、使われていない、
東栄小学校“楠木正成の銅像”があるというので行ってみました。

学校の銅像というと薪を背負って本を読みながら歩いている姿の
二宮尊徳像を思い浮かべます。

何故、楠木正成か?
東栄小学校は、明治36年に釧路町(当時)の第三小学校として
開校しました。

おそらく・・・鎌倉幕府を倒す先駆けとなった楠木正成は、尊皇家と
いわれていたことから・・
王政復興された明治時代の象徴の一つとして“皇国のために尽くす”
という忠臣の鑑という意味で当時開校した学校に銅像が建てられた
のだと思います。

東栄小学校の敷地内にある楠木正成の銅像です。
通りから見えるのですが、気がつく人は少ないでしょう。

台座にプレートを外した跡があります。
戦後の時代背景から外されたのでは?と推測されます。

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